日本でもワインを日常に ~フジマル醸造所

執筆者紹介。日本ワインに首ったけを運営中のそらしどと申します

執筆者:そらしど
ある日、ワインの美味しさに衝撃を受け、やがて日本のワイナリーを巡るまでになる。日本ワインの魅力と美味しさを伝えるためにブログ『日本ワインに首ったけ』を運営中。


フジマル醸造所のワインを詳しくみるのはこちら


近年カフェの街としても注目され、文化の発信地としても何かと注目の清澄白河。
駅から徒歩10分ほど離れた住宅街の「え?こんなところに?」と思うような場所に今回ご紹介させていただくワイナリー、清澄白河フジマル醸造所は存在している。

清澄白河のワイナリー、フジマル醸造所

現在このワイナリーを含めワインショップや飲食店を7軒運営する株式会社パピーユ代表藤丸智史さんの話をお聞かせいただき、この場所をワイナリーとして選んだ理由を知った時、私がずっと抱いていた藤丸さんへの疑問が自然に解決していった。

フジマル醸造所のオーナー、株式会社パピーユ代表藤丸智史さん

私が藤丸さんにはじめてお会いしたのは、世界でも珍しい飲食店併用の都市型ワイナリーとして注目された大阪の島之内フジマル醸造所のテレビ取材時の訪問で、敏腕オーナーのイメージとはかけ離れた物腰優しい雰囲気で、実直にインタビューに淡々と答えていたのが印象的だった。

その後都内近郊でのイベントで何度かお話する機会もあり、ちょうど東京にも同じようなレストラン併設の都市型ワイナリーを立ち上げる準備の最中で、非常にお疲れの様子であったにも関わらず、肩に力の入らぬ表情でけして自分を大きく語らず謙虚な姿勢で対応してくれた。


「躍進的な展開も”すべてひとつの流れ”」

「自分がこうしてワインビジネスを続けていられるのは、18の頃知り合った仲間と今でも一緒にいるからです」
学生時代、ホテルのサービスマンとしてバイトをはじめた藤丸さんは、そこで触れたワインと共に、あるソムリエとの出会いからワインの世界に目覚めていったという。

いつの日か自身のワイナリーをという夢を密かに抱きながら、ヨーロッパ各地やオセアニア諸国などワイン産地を渡り歩いてワインへの造詣を深め、2006年、29歳の時に帰国わずか二週間で友達3人の融資の元、ワインセレクトショップをオープンさせた。

小売りをしたい気持ちはあったものの、ワイナリー経営を視野に入れるにはある程度の規模が必要だったため、業務用中心のショップとして展開することに。その努力の甲斐があり、従業員ひとり雇うのに三年かかった小さなショップが少しずつ大きくなっていく。


「一本の日本ワインとの出会いと夢への前進」

世界各地のワインを取り扱いながら、いつか日本ワインを伝えたいという想いを抱き
つつ、そのマーケット的な展開が出来る時期を待ち続けていたという藤丸さん。

メルシャンのきいろ香を飲んだ時に〝その時が来た”と確信し、仲村わいん工房のメ
ルローを飲んだ時更に、「これが大阪で造れるならやれる!」と、ワイナリーへの夢
も同時に膨らませて行った。

そして突然運命の時は訪れる。
関西地区のワイナリーの老舗であるカタシモワイナリーに営業に行ったスタッフから聞いた、耕作放棄地の話に関心を持ち、自らもカタシモワイナリーを訪れ高井社長に話を伺うことに。そこにはいつかはワイナリーを…と望む気持ちがあったからだった。

フジマル醸造所のブドウ栽培地

農家の高齢化や後継者不足によって、栽培を続けられなくなったぶどう畑が放置されたまま増え続けているという事実は、日本中どこの産地でも耳にする深刻な問題だ。

高井社長と初めて出会って15分、「どこの畑にする?」と尋ねられ、そのまま畑を見に行き、30分後には藤丸さんは畑のオーナーになっていた。

2010年、長年抱いてきたワイナリー設立への夢が具体的に前進した瞬間だった。

「その際、一番条件の悪い畑を借りることにしたんです。ほっておいてもいいぶどうが採れるところでは、勉強にならないと思ったので」

デラウェアという品種を選んだのは、その土地で農家さんたちが長年作り続けてきた品種こそが一番向いていると思ったから。

「畑が無くなるということは産地ではなくなってしまうということ。それに歯止めをかけられる上に、一から植えて手をかけなくて済む耕作放棄地は大切な宝です」

カタシモワイナリーで委託醸造をしながら栽培をしているうちに、どんどん声がかかって畑が増えていく中、三年目にしていよいよワイナリー設立に動きだす。


「ワインを日常に、消費量を二倍に…」

「ワインを日常に気軽に飲んでいただくためには、ビールと同じくらいの価格帯で出したかったのです。これはショップオープン当初からの願いでした」

そのために出来るだけワイナリーは費用や維持費を安く抑える工夫を凝らした。

ワイナリーと畑が近くて都合がいいのは、醸造期の限られた期間だけ。そうなるとワイナリーが畑の近くである必要もない。
大阪市内を視野に入れた際、土地を購入して建物を建てるより賃貸物件を借りた方が安上がりであり、尚且つレストランを併設すればお客さんたちが来店しやすく、その売り上げでワイナリーの経費をカバー出来ると構想が見えてきた。

そしてまたわずか二週間にして、車で畑から40分ほどの場所にある島之内の現在の場所が見つかった。

地下鉄の駅から徒歩一分、一階部分が醸造施設で二階部分がレストランになっている、世にも珍しいレストラン併用の都市型ワイナリーが誕生したのだ。

「15年くらいでワイナリーを持てたらいいなと思っていたのですけどね…」

2013年、望んでいたよりはるかに早く7年目にして夢は叶った。

レストラン併用の都市型ワイナリー、フジマル醸造所

「瓶に詰めるとコルクやラベル等コストがかかる。一杯4~500円で出すワインでも、ぶどうの品質は妥協したくはなかった。だから、全部やめたのです」

そんな大胆な発想から、サーバーから注がれる生樽ワインが誕生し、汎用性を持たせたそのアイディアでどんどん顧客と飲み手が広がっていく。

ふらりと電車で訪れた人にビール感覚で気軽にワインや食事を楽しんでいただき、ワインが生まれる醸造現場を見てもらうことで、ワインをより身近なものに感じてもらう。都市型ワイナリーだからこそ出来る”ワインの日常化”だった。

フジマル醸造所のワイン用ブドウ畑

そこで終わらなかったのが藤丸さんの更なる想い。

大阪だけに留まらず、上質のデラウェアの産地でもある山形などでも耕作放棄地の問題は深刻で、それを受け入れ続けるには島之内のワイナリーでは手狭になってきた。

大阪、山形、長野、山梨等々、買い取るぶどうが増えていく中、すべての交通網を網羅し流通が集まる東京にもワイナリー設立を考える。

「東京は今や”世界のTOKYO”とされています。つまり東京で発信することは世界に発信しているも同然と思っています」

大阪にワイナリーを設立してわずか2年。
今回ご紹介する二件目のワイナリー、清澄白河フジマル醸造所がオープンした。

清澄白河フジマル醸造所

そして冒頭のこのワイナリーの立地の話に戻る。

駅から徒歩10分ほどにある、若干不便な住宅街の元鉄工所のこの場所を何故選んだのか。

「見ていただけると分かると思うのですが、うちは何処の店舗でも従業員の数が多いです。人気のエリアでもこのくらい離れると家賃相場が半分以下になり、元鉄工所の造りは非常に頑丈で、住宅街でも騒音問題が防げます。その分人件費にかけられる費用が多くなるのです。」

大切なのはまず人だという藤丸さんは、能力のある人にはしっかりと賃金を払い、新しいポストを作って若手にその道を譲ることも積極的に行うという。そうしてオールマイティな人材を育てているので、どのような状況になっても対応できるよう心がけているのだと。

次々にショップやワイナリーをオープンし、東に西に畑や店舗を走り回り、ワインの輸出、セミナーやイベント等、飛躍的な勢いでワインを伝える活動を繰り広げていくこの人が、何故こんなにも謙虚な姿勢でいられるのか…

会う度にいつも疑問であった私が、ようやくその答えに気づかされたのが、次の瞬間発せられたこの一言だった。

「スタッフがその時間を作ってくれました」

長年苦楽を共にした仲間たち、そして信頼できるスタッフに囲まれてこそ、この展開があることをこの人は一番知っている。

だからこそ人がついてくる。


「二人の女性醸造家」

清澄白河フジマル醸造所の醸造は基本的に二人の女性が担当する。

ひとりは醸造長の木水晶子さん。(写真右)
そしてもう一人はこの秋から仲間として向かえた小澤祐子さん。(写真左)

清澄白河フジマル醸造所の女性醸造家のふたり

醸造長の木水さんとの出会いは、藤丸さんが世界のワイン産地を渡り歩いていた時代、今でも師として仰ぐニュージーランド在住の日本人醸造家楠田浩之さんの元だった。

ビストロで働く中でワインに魅せられた木水さんは、当時のお店のオーナーに薦められ楠田さんの元に訪れ、その経験が転機となり、ニュージーランドやカナダ、オレゴン等々で醸造や栽培の経験を積んでいく。

その経験を見込まれて、東京にワイナリーを始める藤丸さんから声がかかり、2015年清澄白河フジマル醸造所の醸造長として迎えられたのだ。

清澄白河フジマル醸造所の醸造長、木水晶子さん

そして小澤祐子さんは私自身も以前から良く知るワイン仲間でもあり、醸造や栽培に携わりたいとの夢を抱いて日本ワインの世界に飛び込んできた頃から、彼女の頑張りを知っていた。
共にワイナリーを周り、ワイン会に参加し、彼女の行く末を仲間と共に見守りながら応援していた矢先、フジマル醸造所で働くことが決まったとの知らせを受けた。

更に奇しくもこの取材当日、店長に任命されたと彼女が笑顔で迎えてくれた。
久しぶりに会った彼女の潔いまなざしに安堵する。
サービスも担当する彼女たちは非常に優雅な動きが印象的であり、こんな小柄で華奢な笑顔の愛らしい女性たちが醸造家??と誰もが驚くことだろう。

「私のカラーではなく農家さんたちのカラーを出したいと思っています」

そう穏やかに微笑む木水さんが造り出すワインは、女性らしい優しさの中に確実に溢れる芯の強さが感じられる。

フジマル醸造所のワイン

そしてこの秋、パピーユは日本ワインファンから絶大な支持をほこるベテラン醸造家岩谷澄人さんを迎え、更にパワーアップしていく。

彼の26年の醸造経験は彼女たちにも大きな影響を与えてくれることだろう。


「日本を世界の中のワイン産地へ」

躍進的に成長してきたパピーユにおいて、今後の目標や夢はなにかと藤丸さんに尋ねたところ、日本を世界の中のワイン産地として認められるよう、自分自身になにが出来るか常に考えているという。
そのためにはまず、日本国内のワイナリー数も倍に増えて欲しいと願っているという。ワイナリーが増えることにより農業問題を救えるだけではなく、機材や資材も安くなり、中古市場も活気づくからだ。

ワインの輸出に関しては海外にコネクションを持っている人たちを中心に、まずは儲けより先にビジネスモデルとして提案することからはじめ、少しずつ着実なシェアを広げていくことを目指している。

「そして新世界の産地が世界に認められてきた経緯を考え、フランス、そして各国と日本ワインの橋渡し役として活動出来ればと…」

ひとつひとつ聞く度に、藤丸さんのビジネス展開が、すべて過去の経験やワインを通した出会いから繋がる展開であることに気づく。

「お金も人も限られているので正直ダメかと思うことも何度もありました。それでも続けてこれたのは人との出会いのお陰です」

フジマル醸造所のオーナー、株式会社パピーユ代表藤丸智史さん

「挑んでいる訳ではなく降りかかってくるんですよ…」

と、いつも自らの運命の怒涛の展開を謙虚に笑う藤丸さんの背景は、まさにワインが繋いだ人と人との出会いがすべてだったのだ。
そして自身もワインで人と人とを繋ぐワイン文化の伝道師として走り続ける藤丸さんの、活躍はまだまだ留まることを知らないだろう。

”好きな人のところに好きなワインが届けられれば“

たったこれだけのシンプルな想いが原動力となったまま。


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